【後編】『人類が造る最も大きな構造物』で活躍する電気工事の技術士たち! 2019年10月2日 水曜日
みなさん、こんにちは。SHUDEN, ON TIMEです。
今回は「『人類が造る最も大きな構造物』で活躍する電気工事の技術士たち!」の後編です、ぜひご覧ください。
■■ TOPICS! ■■
■2つのダムが変えたダム建設の歴史!
■ 密かにブーム到来中!? ダムにまつわる楽しみ方3選!
■ダム建設の礎となった下筌ダムと松原ダム。この2つのダムが変えたダム建設の歴史!
戦後毎年のように大型台風が襲来し、昭和28年6月に発生した北部九州豪雨は、筑後川流域に大水害を生じさせ、その数は死者 147人、田畑の冠水6万7000ha、流失家屋 4,400戸、損害額 450億円を数える大惨事となりました。
この凄惨な大水害を受け、建設省は水害を防ぐため昭和32年に筑後川水系治水基本計画を策定。そこで昭和44年3月、昭和45年に竣工されたのが、今回私達秀電社が携わった下筌ダムと松原ダムでした。
しかしこの2つのダムの建設には「ダム史上最大」と言われる反対運動が起こったのです。
その地に住み皆の故郷を思いダム建設に反対した室原知幸氏と、筑後川流域の人命と財産を守るためにダム造りを推進した当時の建設省。互いの信念の確執は「蜂の巣城紛争」と名付けられ、日本の公共事業の在り方に大きな一石を投じるまでの運動に発展したのでした。
13年間に亘る法的論争を経て、結果的にダムは建設されたのですが、室原氏の「公共事業は 法に叶い 理に叶い 情に叶うものであれ」という補償の精神は、その後の全てのダム建設事業に多大な影響を及ぼす事になったのです。
※「蜂の巣城紛争」で是非調べてみてください。
▼[昭和35年6月] 中日ニュース No.337_3「蜂の巣城」 ©中日映画社
この2つのダムは、日本のダム建設を国ごと動かした、歴史の「光と影」の舞台であり礎。
この下筌ダムと松原ダムは、今でも日田と小国の山奥で、静かに流域の人々の生活を見守っています。
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